この一杯の原点
牛骨専門店だからこそ、
描ける一杯。
培ってきた牛骨の技術で、
源流へのロマンを再現する。
麺屋あぶらやは、もともと牛骨ラーメンの専門店です。牛骨に向き合い、スープをつくってきた経験と技術。その積み重ねが、薩摩牛骨ぼっけもんの土台にあります。
カンボジアで出会った麺料理と鹿児島ラーメンの親しみは、自分たちの一杯を、食文化の歴史から見つめ直すきっかけになりました。
鹿児島では、豚や鶏を使うラーメンが育ってきました。土地で手に入るものを使い、その土地の味にしていく。その背景に思いを巡らせると、一つの想像が生まれます。
豚や鶏の畜産が盛んな鹿児島なら、ラーメンが広がった当時も、豚骨や鶏ガラが身近で、いちばん安く手に入るスープの材料だったのではないか。それが選ばれていった理由の一つかもしれない、と私たちは考えています。
一方、東南アジアの麺料理には、牛骨でだしを取る一杯があります。例えばベトナムの牛肉のフォー。牛骨を煮出したスープに米麺を合わせ、肉や香草を添えて味わいます。すでに牛骨を専門に扱ってきた私たちだからこそ、こうした南のスープと鹿児島の味のつながりに、心をひかれました。
海を渡った麺の文化が、その土地で手に入る材料に合わせて姿を変えてきたのだとしたら。鹿児島の一杯につながる、もっと手前の食の風景に、牛骨のスープがあったかもしれない。
「鹿児島ラーメンの源流は、牛骨だったのではないか。」
牛骨専門店だからこそ、そのロマンを味にできる。
あぶらやが培ってきた牛骨スープの技術で、海の向こうと鹿児島を結ぶ、まだ見ぬ一杯を再現する。薩摩牛骨ぼっけもんは、牛骨専門店の技術と、歴史への想像を重ねたラーメンです。ここでいう「再現」は、史料で確定した昔のレシピの復元ではなく、源流に思いを馳せた味の表現です。
カンボジアでの発見
似ている。
だから、知りたくなった。
カンボジアで親しまれる麺料理、クイティウ。湯気の向こうに、鹿児島のラーメンを思わせる表情がありました。
もやしやネギ、香ばしいフライドガーリック(揚げニンニク)。重なって見えるものがある一方で、麺も、味も、土地ごとの歩みも違う。
「この親しみやすさは、どこから来るのだろう。」そんな問いを、私たちは商品づくりの入口にしました。
資料から分かること。
そこから、私たちが想像したこと。
その二つを分けて、お伝えします。
1429年
公的解説琉球王国の統一と海の交易
尚巴志による統一後、琉球は中国・日本・東南アジアとの交易の拠点として栄えました。
参考資料 ↗ 1530–40年代
学術研究福建南部・潮州の海商と南九州
福建南部の漳州湾を拠点とした海商は、琉球から種子島・南九州へ活動を広げました。隣接する広東東部の潮州の海商もこれに続き、南九州は中国沿岸の交易網と結びついていきます(中島楽章の研究による)。
参考資料 ↗ 1544年
学術研究南九州の小根占港に唐船が来航
1544年には、大隅の小根占港へ唐船が相次いで来航しました。密貿易を含む海商の活動が、南九州を広い海域につないでいました。料理の輸入を直接示す記録ではありません。
参考資料 ↗ 1609年
公的解説薩摩による琉球侵攻
島津氏が琉球へ侵攻。その後の交易には、薩摩による支配という政治的背景がありました。
参考資料 ↗ 1698・1705年
伝来の諸説琉球から薩摩へ、サツマイモ
種子島への伝来や、前田利右衛門が山川にもたらした話などが伝えられます。原料の伝来と、菓子の製法の伝来は分けて考えます。
参考資料 ↗ 19世紀
公的解説幕末薩摩の南方貿易と密貿易
調所広郷や島津斉彬の時代、薩摩では幕府の統制下でも南方との密貿易が行われました。16世紀の海商の活動とは時代を分けて捉えます。
参考資料 ↗ 19–20世紀初頭
食文化解説潮州系の人々と米麺の広がり
中国南部の潮州系の人々が東南アジアへ移り住み、米を使う麺の食文化も広がりました。中国南方の米麺「粿条(粿條/クエティオ)」の呼び名は、カンボジアのクイティオ、ベトナムのフーティオへつながります。各地でスープや具材が変わり、それぞれの土地の味になりました。
参考資料 ↗ 1947年
資料に伝わる来歴のぼる屋の開店
横浜で看護師として働いた道岡ツナさんが、中国人料理人から学んだ味を鹿児島へ持ち帰ったという来歴が伝わります。
参考資料 ↗ 1950年
店の公式史こむらさきの創業
女将と台湾の職人・王さんらで始まった店。初代は栄養学を取り入れ、キャベツで栄養バランスを考えたと公式史に記されています。
参考資料 ↗ 2026年
現代の創作南からの風味を、一杯に
麺屋あぶらや天文館本店で薩摩牛骨ぼっけもんを先行発売予定。発売日は未定です。歴史への関心と食卓での発見を、今の味づくりにつなげます。
参考資料 ↗
史実と着想の境界交易があったことは確認できます。一方、クイティウが琉球や薩摩を経て鹿児島ラーメンになったという直接の系譜は、今回確認した資料では裏付けられていません。本商品は歴史から着想した現代の創作です。